乗るのが好き、知識を集めるのが好きなど、スーパーカー好きのカタチは人それぞれだが、開発者に心を奪われてランボルギーニに惚れ込んだのが、この丸森さんだ。その熱量は実車の収集はもちろんのこと、ワンオフのレプリカまで作ってしまうほど熱い。
パオロ・スタンツァーニ、そしてマルッチェロ・ガンディーニといえば、1970年代にランボルギーニでさまざまな名作を生み出したコンビだ。スタンツァーニは最終的には、エンジニアであると同時に、ランボルギーニ社のGM(総責任者)として、その経営の第一線を委ねられるに至っているし、一方のガンディーニは、あのミウラ以来、カロッツェリア・ベルトーネのチーフ・スタイリストとして、ランボルギーニにさまざまなデザインを提供してきた。
その歴史に残るタッグ、とりわけパオロ・スタンツァーニの偉業を追いかけることを趣味としてきたのが山形県山形市の会社役員、丸森信裕さんだ。氏の趣味は実に多彩で、スーパーカーの収集のほかにも、ギターやオーディオなど、ガレージの上層階にはさまざまな趣味の部屋が作られている。残念ながらどちらの世界にも疎い筆者には、その価値を知る術はなかったが、その道の趣味人にはこちらも相当な品揃えなのだろう。
ランボルギーニ・カウンタック LP500S。
再び1階のガレージへと戻り、収蔵されているクルマを拝見する。その中で特別なオーラを放つのはガレージの最も奥に置かれたクンタッチLP500のレプリカだ。日本ではカウンタックと呼ばれるが、丸森氏はイタリア語読みのクンタッチを用いている。これはクンタッチのプロトタイプとして製作された後、クラッシュ・テストに供され、すでに実物はこの世には存在しないモデルである。
インパネやシートは意外にも機能的で扱いやすい。
丸森氏は5年ほど前にイタリアを訪れたとき、ベルトーネで当時その図面を描いたマリーゴ・ガリッツィオ氏に出会い、図面が手元に残されていることを知ると、その原寸大レプリカを製作してみたい、つまりこれまで一部の関係者しか見たことのない幻のLP500を現代に再現してみたいと瞬時に考えたのだという。しかもその図面にはガンディーニのサインも残る。これは正真正銘、ガンディーニの意思が伝わる本物だ。
スポーツカーの進化にとって、やはりエンジンの強化は常套手段だ。LP500Sでは、ついに排気量拡大が実施され、ボア×ストロークが85.5×69.0mmの4754cc。最高出力は375psにまで増強された。
イタリア滞在中、丸森氏の胸中はLP500でいっぱいになった。最初は何かのパワートレインと組み合わせて走らせることも考えたが、それではLP500というプロトタイプの辿った歴史には似合わないと思い、当時製作された図面通りの正確なモックアップで行くことを決定。それをガリッツィオ氏に伝えたのは帰路の空港に到着してからのことだったという。ちなみにガリッツィオ氏はベルトーネを退職してから従業員が4人ほどの自身のカロッツェリアを設立しており、作業に何の問題もなかった。LP500プロジェクトの話はまとまったのである。
ワイド化されたリア・フェンダーは当時最新の高性能タイヤ、ピレリ製P7を装着するためのもの。サイズはフロントが205/50VR15、リアが345/35VR15の設定だった。ほかにはドア・パネルが従来までのLP400Sから若干大型化され、乗降性が改善されている。このモデルの正式名称はLP500Sだが、エンブレムを「5000S」のものに変更している。そのおかげでエクステリアから受ける印象は、かなり戦闘的なものになった。
実際の製作は2016年から2017年にかけて行われた。ボディ素材は、エポウッド、すなわちエポキシ素材にウッドパウダーを混ぜたもの。非常に成型のしやすい素材ではあるが、反面削り過ぎなどの補修は難しい。丸森氏も何回かその製作過程を見学に行ったというが、最大のショックは完成の1年ほど前にマリーゴ・ガレッツィオ氏が亡くなってしまったこと。その後の作業は息子のフラビオが受け継ぐことになった。そして完成したLP500は、2018年に山形市内で開催された、これも丸森氏が主催する「スーパーカー・ミーティング山形」で展示され、大いに注目を集めたのだった。 LP500の背後、壁にかかるスペース・フレームは、量産モデルのLP400以降で使用されたもの。プロトタイプのLP500はセミ・モノコック構造だったが、それが受け継がれることはなかったのである。
ランボルギーニ・ウラッコP250S。ポルシェ911に対抗するために開発された8気筒ミドシップ。これもまたスタンツァーニの代表作だ。
クンタッチの完成型
ガレージのセンターに置かれるクンタッチLP500S、そして向かって右隣りのウラッコP250Sも、もちろんパオロ・スタンツァーニが基本設計を生み出した名作であり、マルッチェロ・ガンディーニが美しく、そしてランボルギーニらしい刺激的なボディ・デザイン、インテリア・デザインを実現したモデルだ。
ウラッコP250Sのインパネ。
これらに使用された強管スペース・フレームは、その造形の美しさのみならず機能面でもきわめて高い性能を有するものであったと個人的には判断している。その剛性感は同時期に生産されていたフェラーリ製12 気筒モデルのそれを大幅に超えていたとさえ思う。もちろん最終的にその剛性感を生かすのは、当時はタイヤの性能にほかならなかったのだが。
そのような事情もあって、ランボルギーニはLP500Sの前モデル、LP400Sでタイヤをピレリ製P7に変更。サイズもアップした。それはLP500Sでも同様で、これでようやくクンタッチも本格的なコーナリング・マシンとしての評価を手に入れたのだろう。丸森氏が自分のコレクションの中で、最も気に入っている1台が、クンタッチLP500Sだと即答した理由も分かるような気がする。スタンツァーニ時代の感触を色濃く残すエンジニアリングと、それが実現する走り、そしてガンディーニのテイストが残るデザイン。この両者が残るクンタッチの最終期こそがLP500Sなのだという。
復元されたLP500のモックアップ。半世紀以上の時を経て蘇った、クンタッチLP500。エポキシとウッドパウダーからなる、エポウッドという素材を使用して、当時の図面どおりに仕上げられている。2018年に開催された、第12回スーパーカー・ミーティング山形にも姿を現し、多くの観客の目を楽しませた。クンタッチLP500はセミ・モノコック構造を持っていたが、後に発売された量産型はスペース・フレーム構造。そのフレームもガレージの壁面に飾られている。
8気筒ミドシップ2+2のウラッコP250Sも、丸森氏には特別な存在の1台だ。わずか2450mmのホイールベースで2+2のキャビンを実現。しかもV型8気筒を横置きミドシップするという狂気のエンジニアリングは、スタンツァーニ愛が半端ない丸森氏にとっても特別な中でもさらに特別な存在なのだろう。実際に日本各地のイベントに、このウラッコで参加されている姿も良く見かけるし、その様子を見ると使い勝手も悪くはないことが想像できる。1970年代当時、ランボルギーニ創設者のフェルッチオ・ランボルギーニはポルシェ911を超える2+2GTを設計せよとスタンツァーニに命じたというが、多忙を極める中でこのウラッコを生み出した氏の実力と才能たるや素晴らしい。
LP400以降で使用されたスペース・フレーム。
ガレージの壁面には、当時の貴重な資料となる図面やポスターなどが多数飾られている。2階にも収まりきらない資料が保管されており、その気になれば本の1冊くらいは出版できそうな勢いだ。
ガレージの反対側の面には、ロータス・エスプリや、マセラティ・メラックなども置かれていたが、丸森氏によれば、もう少し年を取ったらエスプリでのんびりとドライブを楽しむ生活を送りたいとのこと。ランボルギーニに比べれば、確かに楽なGTかもしれませんが、まだまだそんなことを考えるのは早すぎると思いますよ。1年のうち、かなりの期間は雪に閉ざされてしまう土地柄だけに、来年の春に再びランボルギーニで走り出すまで、自宅でのトレーニングを忘れないでくださいね。
またガレージの逆面にはロータス・エスプリとマセラティ・メラックの2台が収まる。壁面にはフェラーリ365GT4BBのリアカウルが掲げられている。実はBBは、丸森氏が当時山形に訪れたスーパーカー・ショーで急遽持ち出した3枚しかフィルムの残りがなかったカメラで最後に撮影した1台だったとのこと。その意味でもとりわけ思い出深いフェラーリといえるのである。
文=山崎元裕(自動車ジャーナリスト) 写真=郡 大二郎
(ENGINE2020年12月号)
からの記事と詳細 ( 【ガレージ取材】スタンツァーニを激愛するランボルギーニ・コレクター| ENGINE WEB - AFPBB News )
https://ift.tt/35qQQFe
No comments:
Post a Comment